knobbiness
戦争を語り継いでもダメ
戦前こそ語り継がなければならない
そこには戦争へのプロセスが隠れているから

awkwardsituationist:

in a sign of spring’s early arrival, blue tits collect blossom from trees in london, which they will use to line their nest. photos by dan kitwood (more dan kitwood posts) (more bird posts)

awkwardsituationist:

japanese white eye birds resting in cherry blossom trees, which bloom for only a few weeks in early spring. photos by (click pic) yoshikazu tsuno, mike romani, anthony moore, tsuyoshi, kaz watanabe, myu-myu and tetsuo wada (more bird photos)

陰陽道は日本と中国に関係があると聞いたけど、
実際の歴史はどうなってるんですか?



83:山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/05(日) 18:39:56 ID:0
陰陽思想とは別に、「陰陽道」という大系を指す用語が成立したのは日本で
十世紀に成立したものです。陰陽寮は他の多くの外来技術と共に、天武朝
に導入・成立していましたが。
>実際の歴史はどうなってるんですか?
これも曖昧で分りかねますが、平安時代に限って職掌を述べると、有名な
安倍晴明の様な官僚であった陰陽師のやった事は、難を避け、やり過ごし、
延命を図る様なもので、呪詛は民間の法師陰陽師が行っていました。
式神(識神)を使うと言われていたのは事実ですし、陰は分かりませんが。
主にやっていた事は、現世利益の祈り、お祓い、占い、守護です。
病人の為に「医陰の輩」が呼ばれたと史書にもある通り、医師と一対になる
技術者と見なされていました。
『今昔物語集』で、藤原道長の周囲にいた陰陽師と密教僧と医師と武士が共
に活躍して道長を守っているのは、当時の社会の縮図を現したものです。



86:山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/05(日) 19:08:09 ID:0
なお、陰陽博士と同時期に呪禁博士も歴史に登場していますが、こち
らはすぐに歴史から姿を消しています。記録も少ない。
陰陽師の方は明治3年に禁止され、歴史から姿を消しました。
今でも、それ系の在野の宗教者はいる様ですが、どこまで信用出来る
かと言えば、微妙なところです。
前年には神仏分離が行われ、社僧が神職にさせられたりしていました
が、陰陽師もこの後神職になったりしたものの、陰陽師としての存続
は認められませんでした。
そして、社僧も陰陽師も復活する事は無かった。

イデオロギー面の問題もさることながら、僧侶も陰陽師も旧幕時代に
は時の権力と結びついて特権を持っていたのが余計に否定に結びつい
た様です(特に後者は思想面で否定されたとは廃止令に出ていない)。

明治5年に僧侶への弾圧を取り止め、修験者も僧侶扱いで復職させた
上、話芸を事とする人々や神職と共に教導職に任命する案が出された
翌年、宗教的色彩の薄かった官僚が陰陽師をも教導職として復活させ
る案を提出しましたが、取り下げられました。
この時採用されていれば、今も町中に陰陽師がいたかもしれません。
世間には質素倹約を主張するあまり、人類をして禽獣同様の生活をなさしめんと欲する者が多い。←憎悪ありきで生活保護や官僚叩きしてる連中なんてつまるところまんまコレだよな。
たとえどれだけ気に入らないのだとしても、潰そうとするのではなく、単に無視していただくわけにはいかないでしょうか。

『僕は友達が少ない』実写映画化について (via ajinotatakinamennna)

そういうこと。批判はいいけど、なぜか「制裁」したがる人が世の中には多過ぎる。

(via radioya)

IT業界ベンチャーで聞いた怖い話。仲間内でワイワイやってた会社が急成長して、コンサル語を喋る意識高い族が入社してきて、元からいた人が居づらくなって段々やめて最後に技術力が無くて意識高い人だけが残る。なんて恐ろしいんだ。この世の地獄だ。
実際には「理系が文系を馬鹿にする」「文系が理系を煽る」といった構造はほとんど存在せず、ただ「実在する馬鹿が想像上の馬鹿に喧嘩を売る」という物悲しい構図があるにすぎない。
Twitter / n_soba (via gearmann)

私たちは、「まとまった時間」をあてにして、いつか大きな仕事をやるぞと思い込んでしまいます。大きな仕事というのは、日々のルーチンワークや雑用以外の仕事です。たとえば、本の原稿を書くとか、論文を書くとか、テキストを作るとか、ちょっと決心しなければできない仕事のことです。

しかし、大きな仕事をやるべき「まとまった時間」は永遠にやってきません。それは幻想なのです。